冬のソナタツアー(ウソ) 4/8

「ユジンさん、今一番したい事は?
 ユジンさん、泣きたい顔してます。
 ここなら、誰にも聞かれず思い切り泣けます―」



すみません、早朝に撮影した景色が冬ソナチックだったので書いてみただけです。


えー、ヨンピョンに来て早くも4日目の朝を迎えてしまったワケなのですが、ここに来ていざフタを開けてみると何の事はない、相方のコテージ帰国時間は毎晩、午前様でございます。
仕事とは言え、ここでの仕事の定時(?)後はやはり飲み会が催されるわけでして。
相方は毎晩飲んでコテージに帰っては早朝起きてスキーや仕事に勤しむ(?)という生活にかる〜く突入しております*1


ここに来て思ったのが「韓国人ってお酒が大好き」って事ですね。
毎晩毎晩よく飽きもせず飲むモンだ、と思うのは日本とそう変わらないんですが、飲む量が結構多いです。
そして飲んでいる最中何度も「乾杯」を行う*2
何と言いますか、人と人との繋がりを大事にする、と言うか、なかなかマメで且つタフなお国柄だなぁ…と、つくづく思いましたですよ。


で、そんな彼らに昨日の晩撮影したバス予約センターの看板の翻訳を頼もう*3と、相方にデジカメを持参させたのですが。
相方の返答


「ん〜、何か皆酔っちゃって聞くタイミング逃してもーた」


との事。
あ、うん、そうなんだ……。


まぁ齢60にして普段とても使いこなせないインターネットを駆使して何とか情報を拾い集めてヨンピョンまで辿り着いた両親の事ですし、今更バスがソウルのどこに着こうが何とかなる気もするんですが。
「予約センターで予約をする前に、ホテルフロント受付で聞いたら何か分かるかも」という事で、フロントに聞くとあっさり詳細が判明しました。


バスの行先は蚕室(チャムシル)で、ヨンピョンからソウル直通バスは1日2本*4ある事。
そして、そのバス予約は当日の朝8時半からでないと受付が出来ない事。


などが分かりました。
如何せんハングルが全く読めないので、地名などの固有名詞はヒアリングが全て。
かなりヒヤヒヤしながら聞きましたが、ローマ字でメモもしてくれたし何より聞きなれた地名だし、母もガイドブックで江南付近の地名はチェックしていたので、大丈夫でした。良かった良かった。


早速予約をすると、母と父は「ヨンピョン最後の滑り収め」の為、ドラゴンピークへ。
母は昨日「コケても起き上がれないから1日休む」という理由で文字通り休憩していたのですが、昨日私と父が行ったドラゴンピークの素晴らしさに「やっぱり行けば良かった。明日バスに乗るまでに私もドラゴンピーク行きたい」と言い出したので、急遽午前券を買う事になったのでした*5


ドラゴンピークに向かうゴンドラの中で
母は「もうヨンピョンに来れる機会はないやろうなぁ」
父は「来年同じように機会があればまた来たい」

と、二人それぞれに自由に言ってましたが…。


でもまぁ思いの他午前様だった相方の事を考えたら、もし両親が来なかったら私はかなりの間1人でスキーになっていたワケで、それって結構寂しかっただろうなぁって思う。
ヨンピョン到着までは本当に苦労させてしまったけど、良い思い出になったし、ここで一緒に楽しめて良かったなぁ、と思いました。*6


両親を見送った後は、午後から相方とRさんがスキーに合流。
本当はRさん、今日の午前もスキーをする予定だったのが「昨日散々(相方の)上級者コースに付き合った上に、夜は飲み会続きで疲れて午前中ずっと寝てた」との事で。。。
確かに、スキーだけしに来ている私ですらそろそろ疲れが隠せなくなってきてる頃。
仕事で頭使って、合間にスキーをして、その後飲み会で……なんてスケジュール、一体誰が考え付いたんだろうと思ったりもする。


とまぁそんな事はさておき、2日目に続いて3日目も相当ハードなスピードで滑りまくりました。
ヨンピョンは全部で31のコースがあるのですが、上級者コース*7以外は殆ど行ったんじゃないかなぁ?と。


滑るのに忙しくてなかなか撮る機会のなかった「ホテル・グリーンピア」です。



そう言えば。
初日は足も全然揃わなかったのに、今日は少し意識したら足が揃うようになってました。
そう言えばスキー靴も初日はあんなに痛かったのに、すんなり足入るし。
そうなってくるとだんだん気分良くなって、滑りながら鼻歌歌う余裕とか出てきたりもしてました。


何となくですが。
「スキー」と聞けば思い浮かぶのがTUBEのギタリスト春畑道哉「サーフィン・イン・ザ・スノー」という曲でして。




うひょーっ!


文字通りスノーをサーフィンしてるぜー!


イヤッハァー!




ルー語で調子に乗っていたら、途端何でもない所で転んだりして。
「調子に乗ったらスキーは死ぬ」という事を教えられた気がしました、ハイ。


でも。
日も暮れて「この1本で終わろうか」と言う時に、私の心の中の悪魔*8が囁きました。


「1回だけ、上級者コース行ってみたら?」


この言葉に、まんまと引っ掛かってしまったのです、私…。
そう、ヨンピョン最後の1本は初日「絶対行かねぇ!」と言った上級者コース。
調子に乗っていたんですね〜、私。「何とかなるかな?」って思っちゃった。
んなワケで、一生に一度の挑戦。だったのですが。。。


感想。





生命の危機を感じました。





あのねー。
「後戻りができない」という事がこれほど怖い事とは思いませんでした
スキーやスノボに関して、恐怖心が全くない相方と一緒の所でモノを考えてはいけなかった、深く反省しました。
本当に、転びながらも無傷で降りれた事に感謝ですよ、感謝。


という事で、さんざん滑った3日間でした。
さすがにも〜ぅお腹いっぱいです。
明日の午前も滑ろうと思えば滑れるけど、もう絶対無理。
仕事を挟みながらでここ3日あまり滑れていない相方は明日のギリギリまで滑るとやる気満々。
すげーな…。


・ ・ ・


この後、Banquetに参加しました。
会場には沢山の円卓があり、そこで朝食ビュッフェに似たご飯をたらふく食べまして。
会場入口で会ったLさんが「今日は中級者コースを滑ったよ!来年は上級者コース滑りたいなぁ!」と爽やかな笑顔で言っていたのですが、全員に向けての挨拶でも全く同じ事を発言したのでビックリしたり*9


途中私は、相方の嘗ての職場の先輩で現在は韓国にお勤めのKさんと「韓国のおばちゃんの発音する“いいえ”」について話したり、英語の勉強法について話したり。
Aさんは結局ヨンピョンに来ておいて1日もスキーをせずひたすら「乾杯」を繰り返し、歌を歌い出したりして(笑)*10
Rさんは流暢な韓国語でAさんと話しながら、反対横の人とは英語で喋るという芸当をし。
何だか今まで全然経験した事の無い空気で、見ていてすごく楽しかったです。
散々滑ったRさんも相方も私も疲労困憊で、最初はあまり乗り気でなかったのですが、参加してよかったです。


気が付けば他の円卓で話していた人達も、比較的人数の残っていた私達の円卓にやって来て、英語やら韓国語やらで言葉が交わされるように…。
メンバーが入れ替わるたびに自己紹介となり、必然的に仕事の話になった為、いつまでも奥さんがダンナの仕事関係の飲み会にい続けるのも周りがやりづらいかな?と思ったので、私はここでコテージに戻る事にしました。


「俺も戻りたいけど、雰囲気的に絶対無理っぽい」
と、相方の目は訴えてましたけど。


(5日目につづく)

*1:本人曰く「空気が良くてご飯の美味しい所なら3時間睡眠でも充分動ける」らしい

*2:1杯ずつやってる、と言っても遜色ないかと

*3:韓国人のAさんか韓国語ペラペラなRさんにお願いしようと思っていた

*4:13時と17時

*5:母の優柔不断な性格がここでも出た

*6:両親は13時のバスに乗り無事にソウルに到着、翌日のフライトで日本に帰国しました

*7:「毎年中級レベルの人が無理して滑ってけが人を出してる」という情報を事前に手に入れたので上級者コースへは行かなかった

*8:正確には相方もだけど

*9:「来年も決定なのかよ!」と言いたげな空気が一瞬漂った

*10:「釜山はいい所だよ!行った事ないけど」という台詞が印象的でした